スマホが使えない1日

この2日間はゲシュタルト療法・東京のベーシックコース第1講に参加していた。

慣れない、はじめてのことをスタートするときは、大抵、無意識に緊張していて、何か忘れ物をするなど、どこか抜けている部分がある私。

今回は、なんとスマホの充電をし忘れていた。

最近は、ほとんどの買い物は、電子マネーを使用している。そのため、バスや電車に乗ることや、買い物するのに現金が必要だった。しかも、手持ちの現金も、往復の電車賃とランチ代金でぎりぎりの数千円しかない状態!

なんとか、無事にコースに参加して家まで帰ることができたが、家族や仕事で緊急の連絡が入っていたらどうしようか、と想像するとなんともソワソワして落ち着かない1日だった。

ただ、よくよく考えると、致し方ない状態だし、なんとか家まで帰ることができそうだからどうにかなる、と思い直して「スマホが使えない1日」を味わってみた。

そして、感じたこと。

まず、手持無沙汰であること。少しでも時間があるとスマホを見る癖が習慣化しているので、電車に乗っているとき、休憩時間等、何をしていいかわからない。スマホがなかった時代の過ごし方を思い出せないほど、生活に溶け込んでいる。そして、周囲の人を見渡すと、大概スマホを見ている。それもまた、なんとなく異様な光景にも感じた。皆、自分のスマホの世界に入っている。

意識はここにはない。

改めてスマホとの付き合い方を見直そうと思った。

スマホは私達の脳に刺激を与えるように作られていて、知らないうちに、なくてはならない存在と化している。でもスマホに支配されすぎていると、現実の身の回りにあるものに気づけなくなり、大事なものを見落とすことにならないだろうか。

ただ、生活するにも仕事をするにも必要不可欠な存在ではあるので、ほどよい付き合い加減を探っていきたい。