「きゅうり」が嫌いなのは問題なのか

「きゅうり」が食べられないことは、問題なのか。

こう思ったのは、幼稚園の頃。

野菜の好き嫌いがある私は、幼稚園の給食を食べきることができず、食べ終わるまでずっと座らせられていることがあった。

好き嫌いはいけない

なぜか、好き嫌いをしてはいけず、どんな食べ物も食べないといけないし、食べられるようにならないといけない。

特に子どもの頃言われる言葉。

この好き嫌いは食べ物だけに及ばず、人に対しても環境に対しても、どんなときでも中立的で公平的な態度をとれることが社会で生きていくためには大切と暗に教育されてきた私達。

食べきれないと、すべて食べ終わるまで席を立つことも許されない。

幼稚園の頃の私は、悲しさや恥ずかしさよりも「そんなにいけないことなのか」と冷静に思っていて、でもその思いを言葉に出すこともできず、心の奥底に沈めてきた。

小学生になると知恵がついてきて、食べられない野菜は一旦口の中にいれ食べたフリをしてから、ハンカチで口を拭くと見せかけて、そのまま食べ物をハンカチの中に出し、家に持って帰ってきた。

子どもなので、それを自分で処理するまでは頭が回らず、家族がハンカチを洗濯すると食べ物が出てくる(-_-😉ということが何度もあり、家族を驚かせていた。

好き嫌いがあっても生きていける

ある特定の食べ物が食べることができなくても生きていくのに問題はない。

自分で選択できる大人になってからは、本当に生きやすくなった。

食べ物に限らず、むしろ好き嫌いを活かして選択して生きていくことが、自分の人生を歩むには不可欠だ。

好き嫌いがあるからこそ、自分を生きれる。

今でも、きゅうりやタマネギは嫌いな野菜だ。

それが私、「かおり」という人だから。