「楽」の追求

私の人生の中で大事なキーワードが「楽」

楽しい、そして楽ちんであること。

これまでの日本の価値観は、楽しむことや、楽をすることを好ましくないとしてされてきた。

楽しむ、楽をするより、苦しみ耐えて生きることを良しとする。

書いているだけで、息苦しくなってきた。

特に、私の親世代(70代以上)はこの価値観にどっぷり浸って生きてきた。

苦しみ、耐えた先に明るい未来が見える時代だった。

この世代の親に育てられた私の中にも、この価値観はどっぷり入り込んでいて、自分の「楽」を追求しようとすると、心の中に「罪悪感」が見え隠れし始める。

私の心の中の罪悪感は、今ではとても小さくなってきて、そこまで影響を及ぼしてはこないが、消えはせず、たしかに存在はしている。

薄い存在だけど。

だが、どんな生活、仕事の仕方が一番私にとって「楽」なのか追及していくと、「この生活がいつまで続くかわからない、できなくなったらどうしよう」と不安が頭をもたげてくるのも事実。

一度手にした楽を、手放したくない、執着する気持ち。

ただ、この飽きっぽい私のことだから、そのうちこの生活も飽きて、新たな展開が始まるのだろうと予想している。

心はころころ変わるから心というらしい。

そして、ころころ変わってきたことで今の私がいる。

今の私の楽が、これから先もずっと楽とは限らない。

常に変化していく。

そう思ったら、この執着、不安を感じて体が何かでつまっていた不快感が取れて、息がしやすくなった。