自己受容がすすむと「緩む」という現象が起きてきます。
緩むというのは何かというと、私の経験上「時間に多少ルーズになる」ことと「うっかりすることが増える」です。
自己受容すると自分自身を縛る「べき・ねば」が緩む
時間前には行くべき、間違えないようにするべき、迷惑かけないようにするべき。
こんな思いや価値観の縛りが緩みます。
なぜ、「べき・ねば」で縛っていたかというと「そのままの自分ではいけない」と思っているから。
そのままの自分ではいけないので、たくさんの規則で自分を縛ってコントロールしてきたから。
そうしないと人から認められないし、自分も認められないから。
そのままの自分ではいけなかったのが、そのままの自分でいいという自己受容の状態になると規則が緩む。
それゆえ、何かと大事には至らないうっかりミスが増えてくることがあります。(注:私個人の感想です)
私に起きた変化
ここ数年かけて、カウンセリングやセラピーを受け、仲間達と心の学びをして自分自身を深く見つめることをしてきた。
いろんな自分に気づいて、それらを認めることをしていくと、どんな自分も受け入れる器が広がる。
優しい自分も、怖い自分も、ずる賢い自分も、おバカな自分も、すべてが自分の構成要素だと受けいれることが自己受容。
もともと、うっかりな私ではあるけれど、その度合いがもっと深くなりました(〃艸〃)
最近の出来事で言えば、銀行に行ってATMに通帳を入れたのに何度も出てきてしまうことがありました。
「おかしいな、通帳の磁気の劣化かな」と思い、近くにいたスタッフに聞いたら「お客様、こちらは○○銀行です」と言われて、、違う銀行の通帳をATMに入れていた、、というオチ。
こうした些細なうっかりミスが増えました。
ただ頭が老化しているだけかもしれませんが(;^ω^)
じつは、同じ心の学びをしている人にも共通してみられる現象です。
しかも、こうしたミスをしても恥ずかしいとも思わなくなって、「まあ、そんなこともあるか」と平常心になる。
自分に「うっかりすること」が増えてくると、自分だけではなくて他の人にも寛容になれます。
他の人がなにかミスしていても、時間に遅れてきても、「まあ、そんなこともあるか」と受け入れられるようになります。
時間に関しても、待ち合わせや仕事開始時間には必ず間に合うように心がけていたのが、時間ギリギリになったりします。
自己受容は自分の解放でもある
もちろん、個人差はあります。
どんな変化が起きるかは、その人が自分をどんなことで縛っていたかによります。
緩んでくると、自分がどれだけのべき・ねばで縛られていたか、窮屈だった自分に労わりの心を持つことができます。
そしてそれは周りの人にも広がります。
注意してほしいのは緩むだけなので、まったく無くなることではないこと。
社会生活を送るためには、ある程度規則を守ることも必要ですから、あくまで「緩む」だけです。
緩むだけでも心身がとっても楽になります。