自分の人生の主人公は誰か、自分に決まってるでしょう!
本当にそうでしょうか。
これは、最近よく言われる自分軸とか他人軸という言葉につながる話。
私は長く、親から先生から友人から人から「どう見られているのか」がとても気になる人でした。今でももちろん、気になります。
「人からどう見られているか」を気にするあまり、自分の意見を言えなかったり、不安で行動できない、心身の体調が悪くなる。これは、自分の人生の主人公が「他人」になっている状態です。
なぜなら、判断基準が他人だから。すべて他人次第。こうなると、人からはよく思われ、人間関係に波風が立たないかもしれませんが、自分の人生を生きてる実感がなくなり、被害者意識を持ちやすくなります。
一生、他人のせいにして、人生を終えることになりかねない。
これが悪いわけではなくて、こういう生き方もある。
私は、主人公を「他人」にすると、途端に心や頭の中、身体感覚も窮屈になる感じがします。
本当に窮屈さを感じるのです。
そんな時は、「また、他人に主人公を譲っているわ私」と気づいて、改めて私を主人公の席に座らせて、どうしたいか検討する。日々、この繰り返しです。
主人公が自分→自分軸
主人公が他人→他人軸
ただ、他人軸が悪い、自分軸が良いということではなくて、時と場合によって使い分けてもいいのです。ずっとどっちかでいるのもかなり大変で、世の中は生き抜けません。
あまりにも、他人の言動や存在が気になりすぎていている場合、「あれ、主人公が他人になってるかも?」こうやって気づけるようになると、少しずつ自分の人生を生きられるようになっていきます。