啐啄同時(そったくどうじ)

「啐啄同時」あるセラピストから教わった四字熟語。

本来の意味は「またとない好機」。

啐というのは、卵の殻の中のひな鳥が殻をつつく音、啄は親鳥がその音を聞いて、外から殻をつつきひな鳥が外へ出るのを助ける音。

その意を借りて、啐は自分の内側、無意識からの答え、啄は外側にある問い、とそのセラピストが語っていた。

つまり、外側で自分が何か問題だと気づいたとき、すでに自分の内側では答えが出ているということ。

よく自分の答えは内側にあるという。だが、多くの人は、答えは自分の中にあるのではなく他人、外側にあると思っている。

私も、長い間、答えは外側にあると思っていた。

じつは自分の内側にすでに答えらしきものを感じているにも関わらず、恐れや不安から、その答えを無視したり気づかないふりをしてたり、もしくは気づくこともできないでいたりする。

本当は何かを辞めたいと思っているのに、辞めた後の不安を感じると恐れが出てきて、辞められず、どうしたらいいか葛藤すること。よくある話だ。

じつは、答えはもうすでに卵の中にあって、答えというひな鳥がコツコツと殻をたたいている。

あとは、そのひな鳥が外へ出られるよう、親鳥が助けてあげればいいだけ。

私が長年、辞めたいと思っていても辞めることができなかった仕事。答えは辞めて次のステージに行くということだった。

今、辞めてみて次のステージが開始されたばかりだが、とても心が晴れやかで満たされている体感がある。

答えはすでに自分の内側にある。

そして、その答えは外へ出るのを、今か今かと待ち望んでいる。