先日、そだねカフェ店主のまさおちゃんのワークを受けた。
ここ最近の私の課題は「怖い男性クライアント」
攻撃的な発言や、私が想像もつかない社会の荒波、裏社会(*_*;を経験しているクライアントの話を聴く仕事が続いていて、なぜか私はとても怖くて、心身の不快感や疲労感が半端なかったのだ。
対人援助職をしていると、こうしたクライアントを避けることはできないし、なぜかビビッて怖気づいている自分が不思議で、これは向き合う課題と気づいたのだ。
「威圧的で怒っている男性が怖い」
私の身体に残っている恐怖感を感じていたら、それは私が小学校低学年の時のお正月の出来事を思い出した。
母方の姉妹家族が我が家に集まっていた。
その時、私は家の2階でいとこ達と遊んでいて、突然、1階から祖父の大きな怒鳴り声が聞こえた。
その怒鳴り声に危機感を感じドキっと身を硬くした後、1階から2階へ、父親が大泣きしながら私の目の前に駆け寄ってきた。
父親が大泣きしている表情を見た瞬間、私も大泣き。
すると父親が「かおり、ごめんな。パパは家を出ていく」
そう告げられ、さらに私は大泣き。
家族が崩壊してしまう瞬間、天と地がひっくり返るくらいの衝撃をその時私は感じていた。
どうやら、お酒を飲んで気が大きくなった父が、祖父に何か生意気な口をたたいたようだった。父が何を言ったのかはわからないけれど、祖父が激怒し父を怒鳴ったのだ。
その後、どうなったか記憶にないが、おそらく母や母の姉妹達が祖父や父を宥めすかし、父は家を出ていくことにはならなかった。
祖父は一緒に住んでいた母方の祖父で、父は婿養子、という関係だった。
普段は物静かで多くを語らない、でも戦争に出征して生きて帰ってきた祖父。
50歳を過ぎてから会社を設立、一家を養っていた祖父の威厳や醸し出す空気感は今思い出すだけでも、この人には逆らえないと思うほど大きなものだった。
私は可愛がってもらっていたけれど、大きくなるにつれ、少し近寄りがたく、嫌いではないけど、畏敬の念を感じて、少し距離を保っていた。
父は優しくで、大きな声を出すこともない大人しい感じの人。子供心に、もっと威厳があってもいいのにと物足りないくらいに感じていた。祖父とは反対の存在感。
物静かな祖父の怒髪天、地震が起きたかのような怒号を聞いたのも、父親の泣き顔を見たのもその時だけ。
祖父の怒号と父親の泣き顔。
これが私の身体の中にある怖さと結びついていた。
ゲシュタルト心理療法のワークで、父親、母親、祖父の椅子を置き、父と祖父のイスに座ってみた。
まずは、私の椅子。家族の気配、空気感を読んでいる小学生の私がいた。耳を澄まして、大人達の様子を伺っている。
次は、父親の椅子。とても肩身が狭くて居心地が悪い。
婿養子だし、血は娘としか繋がっていない。仕事の師匠でもある祖父には到底叶わない感覚。家族の中で一生懸命自分の仕事、役割を果たしている。
次は祖父の椅子。家族全体を見守っている、ものすごく安定した体感覚。「怖いってどんなことなのかわからない」と思うくらい、「死ぬこと以外かすり傷」の体感覚。
気づいたことは、祖父の怖さは家族や会社など、大切な人や物事を守るため、自分を生きるためのパワーで、根底にはどっしりした愛がある感覚。決して、自分だけを守るちっぽけなものではない。
父親は、家族の中での存在感が大きくは見えないけれど、自分の役割をちゃんと果たして地道に生きてきた。いぶし銀のような渋さがある人。
祖父も父親も、質の違う威厳がある男性だった。
この2人は、天国にいるので目にみえる形で会うことはできないのだけれど、椅子に座ったことで再会できてエネルギー感を感じることができた。
元に戻って、おじいちゃんとパパの威厳エネルギーを纏った状態で怖いクライアントと向き合うイメージをしてみたら、、攻撃的なクライアントが小さく、ちっぽけな存在に変化した。
自分だけを守るために必死に他者を攻撃している人と、何かのため、誰かを守るために男性性の威厳や怖さを纏っている人の違い。
その差、大きさ、安定感はまったく別物だった。
あんなに怖いと思っていたクライアントが可愛く見えた(〃艸〃)
私は、祖父、そして父の男性性のエネルギーを取り込むために、この課題に向き合ったのか。
本当の答えはここにあった。
後日談として、ふたたび、このクライアントと面談する機会があったのだが、以前感じた「怖さ」はどこかへ行き、祖父と父の安定感、どっしり感を感じながら私はその人とニュートラルに接することができた。
この「おじいちゃんとパパのパワー」これからも大切にしたい。