価値観の見直し

新生活をスタートするにあたり、様々な見直しをしている。

それは、身の回りの物を断捨離するだけではなくて、頭の中の「価値観」も含まれる。

他の用語では「信念体系」「ビリーフ」と言われているもの。

私達は、この世に生まれてから、その多くは親、養育者の「価値観」または社会の「価値観」を「鵜呑み」にして成長する。 「鵜呑み」とは、鳥の「鵜」が魚をそのまま丸のみすること。

ようするに、周りの大人たちの価値観をそのまま、何の疑いもなく「丸のみ」して生きているということ。

成長し、自らも人生経験を重ねるなかで、次第に「鵜呑み」した価値観が自分に合わないと感じて、それまでは信じて疑わなかった「価値観」を改めて見直すのが中年期あたりと言われている。

まさに、絵に描いたように、私自身にもこれが当てはまる。心の学びをして自己探求をしている人達は圧倒的に中年期の人が多いのも頷ける。しかも、今は世界的に「コロナウィルス」によって地球上の価値観の見直しを迫られている時代でもある。

頭の中の「価値観」を見直すと、びっくりするほど母親から聞かされてきた「価値観」が反映されている。

楽をしてはいけない。苦労しなくてはいけない。

遊ぶことは悪いこと。

無駄遣いはいけない。

お金は貯めるもの。

などなど、、、。

この言葉を聞いているだけでも、心がキュっと縮こまる感覚が残る。

この価値観をそのまま適応していたら、もちろんメリットもあるのだが、一方で自らを縛るデメリットともなる。この、鵜呑みに気づけないと、無意識に自動的に採用してしまうので生きづらさが出てくるのだ。

自らを苦しめていた価値観を「鵜呑み」と気づき、それを採用するかしないかを、自分で選択できるようになるのが「本当の自由」だ。

言葉で書くのは簡単だが、「気づく」だけでもかなり苦しさや心の傷に触れるものなので、なかなかに難しい面がある。

注意して欲しいのは、親の価値観が悪いということではなくて、それに振り回されずに自分でコントロールできるようになることを目指すこと。

私が最近気づいた「価値観」は洋服、おしゃれについて。

もともと、ファッションが好きだし、美しいものは大好物。

素敵だなと思う洋服は、比較的我慢せず、たくさん購入してきた。買って着ないことはなかったが、どんどん溜まる傾向にはあった。

昨年から在宅勤務の仕事をスタート。在宅勤務の時は、正直自分が着る洋服の基準は「着心地のよさ」。デザイン、おしゃれとか形がいい、素材に凝っているとかではなくて、「着心地」がメインで選んでいることに気づいた。

外出するときに着る洋服は「人からどう思われるかを気にしたスタイル」で自宅にいるときは「自分の着心地」が基準。

洋服は「自分のためよりも、他人にどう見られるかが基準」ということに気が付いたのだ。

同居していた祖母も母もおしゃれが好きで、人からどう見られるかを非常に気にする人。

しかも、母は街で見かける人の服装をみて「よくあんな恰好で、、、」と批判的な言葉を言うことも多かった。「外出するときは人から恥ずかしい、変と思われないようにしなければ」この母の価値観を鵜呑みしていた。

着ている洋服なんて、ある程度のTPOはあるかもしれないけれど、本来何を着ていてもいいし、その人が満足しているならそれでいいのだ。

こう思うと、急に洋服への物欲が収まってきた。これには自分が一番驚いた。

もちろん、ファッションやおしゃれが悪いということではなくて、今の私にはファッションは最優先することではないと変化しただけ。他人のためではなくて、自分のために洋服を整える。

もしかしたら、また元の価値観に戻ることもあるかもしれないけど、その価値観を今は採用しないことを選択してみる。

こうして、私は少しずつ自由になっていく。