一言で幸福感と言っても、その程度や種類は様々ある。
一つは、とてもわかりやすく、派手な感じがする幸福感。
宝くじに当たって大金が手に入るとか、イケメンや美女と付き合うことになったとか、結婚するとか、たくさんの物を手に入れているとか、SNSなどでわかりやすく人に承認されやすいことが挙げられる。
大きな花火がドッカーンと打ち上げる幸福感。
とても強烈で刺激が強い反面、それは持続しないことが多い。
しかも、それは度々起こるものでもない。
スマホを手にした私達は、いつでもどこでも手軽に刺激が強い画像や動画を見ることができるので、こうした刺激に慣れてしまっている。
慣れてしまうと、依存と一緒で、もっともっと刺激が強いものでないと満足できなくなり渇望状態になる。
スマホ依存やSNS依存になるのは、人にはこうした仕組みがあるから。
もう一つの幸せは、一見とても地味で当たり前に見過ごされる幸福感。
穏やかで、じんわりと温かくなるような感覚。
例えば自然の中を歩くときや、買っている犬猫、ペットと一緒にいること、家族といることなど。
派手さがなく、見過ごされがちな幸福感。
私は、猫を飼っている。
よく言われるように猫は飼い主の言うことは聞かなくて、自分の都合がよいときだけ近寄ってくる。
今も、パソコンでこの文章を打っている私の腕の中に猫がいる。
邪魔だけど、猫の暖かさを感じながられる幸福感。こちらがおいでといっても、来ない猫が傍らにいてくれる時間の尊さ(猫を飼っている人ならわかってくれるはず)
公園でゆっくり過ごす、滋養みが溢れる幸福感。
こうした、静かで穏やかな幸福感こそ、東洋的や日本的では最も大切な感覚なのではないだろうか。
楽しいことがない、嬉しいことがないと思っている人こそ、見逃している穏やかな幸福を再確認してほしい。