今日は久しぶりに母に会いに行った。
もうすぐ後期高齢者の仲間入りをする母と、墓閉まいの話をした。
私は一人娘で外へ嫁いでいるので、実家は母で最期になる。
そして、私には子どもがいないし、跡を引き継ぐ人がいない。
そこで、ご先祖様達の法名(戒名のこと)が書かれた過去帖の話になった。
実家の宗派では、お位牌がなく、折り畳みされた小さな閉じ本になっている「過去帖」がお位牌替わりになっている。
そこに書かれてあるのは、江戸時代の宝暦年間1750年代から平成までの間になくなった29人。
その過去帖を見ていたら、ふと涙が出てきた。
これまでは、なんだか家系の重さのようなものを感じてあまり良い気分はしなかったのに、今日は何か違うものを感じた。
ご先祖様達が生きていた過去から、今を生きている母や私への繋がりのようなものを感じて、なにか胸が熱くなるような感覚だった。
過去帖には、「生子(うまれこ)」と記載されている人もいて、生まれてまもなく亡くなった子供達が何人かいる。
心の学びをしていると、自分と自分、他者と自分、家族と自分など、人と人との繋がりを振りかえり学ぶことが多い。
自分自身の中にある、何か大いなる存在との繋がりを意識できるようになったからこそ、今日はご先祖様達の記録を見て涙が出てきたのかもしれない。
ただ、たんに歳をとっただけかもしれないけれど、
私は実家の家系を閉じる役割を任されている存在。
以前は終わらせることに罪悪感を感じて苦しんでもいたのだけど、今は終わらせることにも意味があると思えるようになった。
始まりがあるからこそ、終わるときがきて、終わるからこそ、始まることがある。
こうして、何かが繋がって続いていくのかもしれない。