生きていると、何かとしんどいことが起こる。
頑張っていても、なかなかうまくいかないこともある。
なぜか人に勘違いされて、攻撃されたり。
自分が悪いわけではないのに、謝らないといけないとか。
いきなり大病になるとか。
たくさん、理不尽なことも、理解ができないこともおこる。
その渦中にいるときは、はっきりいって「しんどさ」「苦しさ」しかない。
周りに原因があって自分は被害者、もしくは自分だけが悪いと自分を責め。
どうすることもできない、八方塞がり。
私も、こういった「しんどさ」はたくさん経験してきた。
今でも、もちろん感じることがある。
だが、最近ふっと「あの時のしんどさは意味があったな」と思えるようになった。
後にならないとわからないのが「しんどさの意味」
なんでこんな目に?
「なんで?」の答えは、その渦中ではなくて、少し後、もしくはもっともっと後にやってくる。
過去のしんどさと、今が繋がる。
仕事でカウンセリングや対人援助をしていて、クライアントの話を聴いているときに
「あの時のしんどさは、クライアントの理解のために経験していたのかも」と思える瞬間がたくさんある。
クライアントが、私とまったく同じしんどさを味わっているかを確認するのは、限界があるけれど、ほんの少しでも通じる点があったりする。
過去の自分が、クライアントとなって今の私の目の前に現れる感覚。
その瞬間だけ、時空が捻じれる。
過去の私に、今の私が声をかける。
自分自身が癒される。
こんなことが時々起こる。
今、どうしようもないしんどさを感じている人がいたら、もっともっと未来の自分から、今経験していることはどんな意味があるのか、メッセージを送ってくれるとしたら何と言ってくれるか、想像してみてほしい。
どんな、しんどさにも必ずその人にとっての意味がある。