人をカテゴライズする恐さ

長年、医療職をしてきた私は、支援対象者をカテゴリーに分けて捉え、考え、行動することが身に染みている。

血液検査、健康診断のデータ、その人の体型、既往歴(これまで患った病気)や現病歴(今、治療中の病気)などなどの情報を見ながら、どんな支援が必要か考える。

もちろん、データだけではなくて、その人個人の社会的背景も考慮はする。

それでも、最初のデータで、ある程度カテゴリー分けすることからスタートする。

カテゴライズすることには、もちろん利点もある。

保険点数や法律で制度を作るとき、「○○な人には、この支援が適応する」など、決まりごとを作るときに役立つ。

保険制度や法律があることで、様々な医療や支援を低料金や無料で受けることができる。

一方で、デメリットはカテゴライズすることにより、その人に対するレッテル張り、スケープゴートにしてしまう危険性がある。

あの人は○○だからとか、○○だから出来ないよね、無理だね、とか。

本当は無限大にある、その人の可能性や伸びしろを、カテゴリーという枠にはめてしまう恐ろしさ。

その人そのものを見るのではなく、そのカテゴリーでとして見てしまう恐さがある。

医療分野だけではなく、カテゴライズするのは多くの人が生活する社会では必要なことで多岐の分野で行われる。

私自身が自己探求をするなかで、自分自身にはめていた枠をすこしずつ外すことをしているから、なおさら気になってきた。

枠に入ることで安心することもあるし、はめられることで傷つくこともある。

見えない枠というものに、左右されず生きていきたいな。