先週末で学んだ、津田先生のポリヴェーガル理論。
その中で、ゲシュタルト療法を確立させたフリッツ・パールズが捉える自由と安全について、
津田先生が考察された話が興味深かった。
最近、組織開発の分野で話題の心理的安全性というワードでも使われる「安全」
そして、多くの人が求めている「自由」
自由と安全とは、どういうことなのか。
私の思う安全とは、何があっても責められず、命が守られる状態が続くことや安定していること。
自由とは、自分がしたいことができる環境のこと。
言葉で表現すると、こんな感じ。
パールズの「安全」とは、予測不可能な「ハプニング」が起こる状態。
そして、予測不可能なハプニングが起こる状態だからこそ、多くのものや可能性が生まれることが真の自由。
度肝を抜かれた気分だった。
多くの人が思う安全とは、平穏な日々が続く、安定していること。
だが、じつはそれは偽りの安全であって、予測可能な安全。
予測可能であると、そこからは何も新しいものが生み出される可能性が生まれない。
よって、自由ではない。
コロナ禍で、この先どうなるか予測不可能な状態に世界が追い込まれた。
そして、そこから新しい生活様式、仕事の仕方、生き方が今、たくさん生まれている。
じつは、この数年間は「真の安全で真の自由」ということ!
私の頭の中の、図と地がひっくりかえった。(ゲシュタルト心理学の有名なルビンの盃)
頭では理解できたが、身体はまだ納得してない感じ。
本当に怖い、だけどゾクゾクするワクワク感もある。
フリッツ・パールズは、ユダヤ人で第二次世界大戦中に自分の命を守るため、多くのユダヤ人の仲間を残して、祖国を去り生き延びた人でもある。
仲間のユダヤ人達が、いつか救われる時がくる、仲間がいるから祖国にとどまると言うなか、自分の体感覚でこのままこの国にいては身の危険があると感じ、苦しい思いで祖国を去った体験をしている人。
それゆえ、戦争という真の安全と自由の中を、命をかけた覚悟を持って生き抜いてきたゆえに、この言葉が残っている気がした。
それを思うと、言葉で表現するのは簡単だけれど、その言葉の中に含まれている深さや重さは並大抵のものではない、畏れさえ感じる。
あなたにはその覚悟がありますか?そうフリッツに問われている感覚がした。