死にたくないけど死にたいのです

自殺予防のSNS相談の仕事をしていて、時折聞く言葉。

「死にたくないけど死にたい」

「両方の気持ちがあって、そんな自分がおかしいと思う」

生きたいわけではないけど、死にたくはない。

でも、死にたい思いもある。

積極的に生きたい気持ちよりは、もっと消極的な生きたい気持ち。

でもやっぱり死にたい。

こういった言葉を聞くと、命はそもそも矛盾しているし、人間だけが死ぬことを知っていて、思考があるゆえに思うことだなと感じる。

生きていると、かならずその先には死がある。

生きるということは、死に向かっていること。

死にたいは、その死を自ら早めに手繰り寄せたい状態。

人間の核の部分は、リビドー(生)とタナトス(死)があって、それがお互いを左右に引っ張り合っている状態で、今を生きる選択を意識的に無意識的にしている。

命は基本的には生きようとする方向へ自分の身を守るので、実際に死のうとする行動は恐怖でできないのは当然のこと。

私は、「死にたくないけど死にたい」など、両方の気持ちがあることを訴える相談者に対しては

「両方の気持ちがあっていいし、それは自然なこと」と伝えることがある。

それに

「死にたい思いがありながら、今の瞬間、今日1日生きていくのもいい」

と伝えることもある。

死にたいなんて思っている自分はいけない、ダメな人間だ。

そう思っている人がほとんど。

矛盾した気持ちがあっていい。

そう伝えると、ほとんどの人が少し安心したと言ってくれることが多い。

そもそも、矛盾した思いや気もちを抱えて皆生きている。

「両方の気持ちがあってもいい、また何か話したいことがあったら連絡してね」

こうした思いを込めて、いつも相談の最後を締めくくっている。