人と自分は違う存在であること。
最近になって、ようやく体感覚で身についてきた。
身についてきたと言えるのは、自分と違う価値観や言動、行動をしている人を見聞きしても批判したり、正そうとする思いが減ってきたことと、胸苦しい感覚がなくなったから。
むしろ、「そんな考え方、捉え方があるんだな」とその違いを楽しめている自分にも驚く。
間違えていると思うのは、自分と違う感覚だから
誰しも、自分が考えていることが正しく、人が間違っていると思うことは自然な反応だ。
でも、本当は間違っているのではなくて「違うだけ」
私は○○と思うけれど、Aさんは△△と思う。
そんな違いがあるんだな。
ただ違いがあるだけ、そう思えるようになってきた。
以前は、自分と同じでないと不安になり、批判していた
日本は同調圧力が強いと言われている。
他の人と同じでない自分がおかしいし、ダメだ。
私はそう思ってきた。
それに、自分と人と心の境界線も薄くて、他人を変えようと踏み込もうとしたり、逆に踏み込まれたりして疲労していたこともある。
この数年間で、ひたすら自分と向き合って、よく言われる自分軸を立てることをしてきた。
自分が感じた真実を、まず自分自身がそのまま大切にしよう。
そう思えるようになってから、自分を信じる、自信という軸が太くなり、自分軸が出来始めた。
すると不思議なことに、他人を批判する気持ちが強くなるどころか、その違いを楽しみ味わう感覚に変化してきたのだ。
胸が疼くような感覚が消えて、むしろ胸の中の風船を膨らませたまま相手と対等に向き合っているような,
これまで味わったこともない感覚。
この変化には私自身が一番驚いた。
多様性の時代は、違うことをどう扱うかが試される
これから、もっともっと個人が際立ってくる時代になる。
同じように生活していても、本当は皆1人1人、まったく違う存在で、それは血をわけた家族、親子であっても同じこと。
違いと向き合えるようになるためには、まずひたすら私という存在を認めるところから。
自分を認めることが一番苦しく、時間がかかるかもしれないが、それを抜けた先には、とても楽しい世界が待っている。