最近のカウンセリングで、よくクライアントから聞く言葉。
「寂しい」
寂しいとは、周りを人に囲まれているとか、たくさん物や事に囲まれているとか関係なく、「心が寂しい」状態のことを表現していることが多い。
自分の心と相手や周りの人の心が繋がっていない状態、途切れている感じだろうか。
気持ちをわかってもらえない、楽しいことがない、嬉しいとか、安心も感じられないも含まれることが多い。
コロナ禍で人と人の距離感を取るようになってから、この「寂しい」は加速したかもしれない。
ただ、私が思うに、人はそもそも孤独な存在。いくら、人と繋がりたくても、自分の皮膚、肉体は他の人と一緒になることはない。
お母さんのお腹の中にいた時は、へその緒で母体と繋がれていたが、この世に出てくるときに、へその緒は切られてしまう。ここで、母体との繋がりが切れるのだ。
それゆえ、人は皆「分離」の悲しみを抱えると言われる。
本当は繋がっていたいのに、肉体としては離れてしまい、目に見える形としてつながることができなくなる。
でも、じつは目に見える「へその緒」で人と繋がるのではなくて、心や体感覚でつながることができるのだ。
例えば、1人でいても、他者の気持ち、心遣い、思いやりを感じて、胸が熱くなったり、安心感を感じることを、経験したことがないだろうか。
これは、「見えないへその緒」で人と繋がれている瞬間。
この体感覚を得るためには、自分自身の心が開かれていて、他者の気持ちを受け取ることが必要になる。
「1人でいても1人ではなく、人といても1人になれる」この感覚こそ、本当の自立。
本当の自立すると、寂しささえも自分で味わい、慰めることができるようになるのだ。