私は母が大嫌いだ。
昔から私の目には、母は自信が無さそうで、忙しそうにしていて、父をバカにしていたりするところが嫌だった。私に対しても、ことあるごとに何か小言を言ってくるし、否定されたりすることもしばしば。
ただ、振り返ると何かと私を助けてくれて、やりたいことや行きたい学校へは行かせてもらえていた。進路や就職に関しても意見を言われたことはなくて、私が思う通りにさせてくれた。
そう、大嫌いで大好きな存在。それが母だ。
大嫌いと表現したのは、自分のことを一番わかってくれて味方になってほしい存在である母親が、子どもである自分を否定することもあったから。期待通りの反応が返ってこなかったから。
ただ、それだけなのだ。だから、本当は母が大好きなのだ。
もっというなら、母のその反応は私への愛の表現でもある。子どもを危険な目に合わさぬように、ダメと言ってみたり、バカだと言ってみたり。
お互いの気持ちがすれ違っていて、愛がもつれているだけのこと。
愛の反対は無関心。目にも気にも留めないことを無関心。
大嫌いと言っている時点で、そのくらい意識していることと同じ。
だから、大嫌いな人は、もしかしたら大好きな人かもしれない。
試しに、いつも嫌いだと思っている人のことを「あの人好きだな」って言ってみたら
どう感じるか。試してほしい。
もちろん、嫌いは嫌いでいいし、好きになる必要もない。
もし、大嫌いの中にある大好きに気づけたら、その人を見る目が変わるかもしれない。