トラウマ治療に大切なことは「安心感」「リソース(心の資源)」を再確認し体感すること。
恐怖でいっぱいの心の中に、わずかでも残されている「安心」を探求していくことだ。
トラウマ
トラウマ、またはPTSDというのは、心的外傷後ストレス障害と言われているもので、命の危険を伴う体験をした後に残された心身の障害のこと。
一般的には、虐待や事件、事故、災害、戦争などの客観的に見ても大きな出来事に遭遇した際のことを言うが、じつはどんな人にも「トラウマ」はあるともいえる。
人からいじめられた
人から否定された
いやがらせ、ハラスメントを受けた
などなど、命の危険を伴う出来事ではないかもしれないが、その人にとっては深く傷つくなど心の危険を伴う出来事でも、トラウマは残される。
昨年から通っているゲシュタルト療法・東京ベーシックコースでファシリテーターの田中千恵子さんのワークを先日受けて、その記録を残したいと思う。
私のトラウマ体験
記憶に残っているトラウマ体験は、中学生の時の出来事だ。
家の近くの小学校を卒業した私は、都内にある女子中学校へ入学した。
様々な地域から通っている女の子達だけの環境で、とても緊張していたし、私なりに一生懸命溶け込もうと努力していた。
私はある仲良しグループの中に入っていて、通学の電車から学校にいる間中、ずっとそのグループの人達と一緒にいた。
よく言われる「女子同士の同調圧力」の中に、それなりに溶け込んでいたつもりだった。
だが、ある日の昼休みの時間。
いつも机を寄せ合って皆でお弁当を食べるはずなのに、気づいたら教室内にグループの友達はいなかった。
なにか嫌な予感がして、教室を出て探しに行ったところ階段の踊り場に友達が集まっていた。
それを見た瞬間、「私の悪口を言っているな」と、とても嫌な予感がした。
すると、ある1人が泣きながら私に何かを言ってきた。
正確には記憶していないが「かおりちゃんは他の子達と合わさない」という内容だったと思う。
そう言われた瞬間、とてつもない疎外感や孤立感を感じて、当時の私は大泣きした記憶がある。
集団のなかで、疎外され居場所がない感覚は人間にとっては生死に関わるほどのトラウマ体験だ。
この体験を主題に、千恵子さんにゲシュタルトワークを受けた。
中学生当時の体験を思い出しながらワークをした。
仲良しグループから疎外され、すぐに家に帰りたくなった。
当時は、学校が終わったら部活にも入らずに、帰宅部ですぐに家に帰りたかったのだ。
家にいると安心だったから。
安心感を感じる家には誰がいて、何をしていたか。
それは、いつも家にいた母方の祖母「おばあちゃん」との時間。
生まれた時から一緒にいるおばあちゃん。
○○しなさいとか、厳しいことも言われず、一緒にいて気持ちが緩む。
食事も作ってくれて、一緒に買い物や外出したり、何も言わず何もせず、ただ一緒にいる時間。
私の存在をそのまま認めてくれる存在だった。
祖母は私が34歳の時に亡くなったが、30年も一緒に生活してきた。
母は家業をしていたので、私にとっては母より多くの時間を過ごした人でもあった。
そのおばあちゃんと一緒に居るときのことを思い出すと、こみあげてくるものがあり、胸がとても暖かくなった。
その暖かさは白くて丸くて、ツルツルしている玉のよう。
どっしりとした心地よい重さで、私の心を安定させてくれる。
私は、かけがえのない心のリソースをおばあちゃんからもらったのだ。
そのリソースを体感した状態で、友達から疎外された場面に戻ると、なんだかどうでもいい感じがして、さっさとその友達と離れよう、もっと気の合う人と一緒にいようと思える自分がいた。
安心感が得られないと、危険を感じる場面には立ち向かえないし、チカラも沸いてこないのだ。
この世に私を繋ぎとめている糸
安心感は、この世に自らを繋ぎとめている糸でもある。
誰でも、何かと繋がっていないと生きてはいられない。
それは、誰か人でなくてもいい。
景色でも、ペットでも、好きだった絵本でも、推しでも、なんでもいい。
それと一緒にいたり、味わっている時に「ホッとできたり、心が温かくなる」もの。
家庭環境に恵まれず逆境体験をしてきた人でも、必ず何かの支えがないと今を生きることができないもの。
ただ、自分が気づいていないだけなのだ。
トラウマ体験は、自分をこの世に繋ぎとめている糸に気づくプロセスの一つでもある。
その繋ぎとめている糸はその人の宝物。
その宝物を一緒に探すことができるファリシテータ―になりたい。