嫌なものは嫌と言う

私は嫌とかNOと言うのが苦手だ。

特に、仕事や他人から依頼されることや、お誘いを断わるのが苦手。

その根底には、「人から嫌われたくない」思いがある。私が断ったり、嫌と言ったら相手から嫌われる、そう信じていた。

こうして生きてくると、どんどん我慢することが増えてくる。やりたくないのに、仕方ないからと自分を抑えて生きる。

時として、自分が自分を抑えているにも関わらず、それを言ってきた相手が悪いと思い始める。

これが被害者意識と加害者意識が反転する仕組み。

いつまでも我慢が続くと、生きづらく、つらい日々となり、私の場合は、身体の病気として表れてくる。

なぜなら、病気になると嫌と言えるようになるから。

私は具合が悪いから出来ません。休みます。断ります。

子どもが学校に行きたくないと、お腹が痛くなるのと同じ仕組み。大人になっても、それは変わらない。

数年前からは、少しずつ嫌と伝えたり、断ることを試している。

最初はとても違和感があった。悪いことをしている感覚。モヤモヤしたり。

今だに慣れない。身体に違和感が残る。相手を嫌な気分にさせたかもしれないと。

そんな時は「それは本当?」と自分に問う。

大概、それは本当ではない。相手の気分は相手のもの。私にはわかり得ないこと。

何より、勇気を出して伝えることが出来たではないか。私、自分を尊重して、いつもとは違うパターンを生きてる、そんな自分を認める。

こうして、嫌とかNOを積み上げていく先に見える世界は、どんな世界なんだろう。楽しみだ。