ゲシュタルト療法での学び。
見る、考える、感じる、この3つを区別できているか。
そんな簡単なことと思うけれど。じつは区別出来ていなかったりする。
例えば、見るは、自分の網膜に映ったもの。
人の顔を見て、「〇〇さんの笑顔が見えます」と答えたとする?
でも、その人が本当に笑顔になっているかは見ただけではわからない。
笑顔に見えるは、見た人の考えが入っているから。
よく私達は、周りの人が不機嫌そうだと気になることがあるけれど、その人が本当に不機嫌かどうかはわかり得ないことで、そこには考えという価値判断が入る。
感じるも同様で、「〇〇さんは素敵と感じる」と言うのは、素敵と言う見た人の考え、価値判断が入っているから感じていることではない。
「〇〇さんといると、楽しくなる」は感じること。
純粋に見る、感じるができるのは、まだ言語で表現された価値判断を取り込んでいない「赤ちゃん」かもしれない。
生まれてはじめて見た、感じたときの感覚に今戻れたら、この世はどう見えるのか。
想像しただけでも楽しくなる。