誰でも何かに守られている

もうすぐお盆がやってきます。

決して、怖い話ではありませんが(笑)近頃、私が体感していることがあります。

それは、誰でも何かの存在に見守られているからこそ、今を生きているということ。

話の流れからすると、ご先祖さまとか、守護霊とか、そんな話も含みますが(笑)

私はこれまで霊感を感じたことはありません。いつか、見えたりするかな~

とはいえ、これまでの人生を振り返ると、やはり何かに守られていたからこそ今を生きていられる。

朝起きて、出かけていって、家に帰ってきて、眠りにつく。

これだけでも、私達はたくさんの危険をかいくぐって命を繋いでいます。

事故にあったり、天災にあうこともある。

それでも、こうして生きている。それは、見えない何かや、過去のご先祖様たちの命が私につながれていて、見えない何かの存在で守られているからなんじゃないか、と思うのです。

安全に電車やバスに乗っていられるのも、そこで働く人達が安全運行のために尽力してくれているから。

食事が食べられるのも、自然、生産者、お店とたくさんの人の手を隔てて、私達の口へ入る。

目に見える存在や見えない存在が、私達を生かしている。

つい、私達は目の前のことだけにとらわれがちになるけれど、目の前に用意されるまでに、どれだけの自然や人のエネルギーや恩恵が含まれているか。そこまで思いを馳せることができると、「私は守られているんだな」と体感することができる。

感謝しなければとか、強制されたり道徳めいたことではなくて、目の前にあるものや、自分自身の命や肉体が、どこからやってきたのか、そこまで思いを馳せることができると安心を得られ、感謝が沸いてくる。

コロナ禍で孤独感、孤立感を深めている人が多くいる。

そういった人達も、よく周りや自分を見てほしいと思う。みな、決して一人ではない。

誰でも何かに守られている存在なんです。