「真」をもつ

先日、青花の会で開催された川瀬敏郎先生の「花と私1」の講座に参加した。

川瀬先生は、私のなげいれ花の師匠横川先生のお師匠。

師事する先生の源泉である川瀬先生の話を直接伺える貴重な機会だった。

3時間に渡り、日本における「花をいけるとは?」という問いからはじまり、神の依り代として花をいけてきた歴史。

そして、近代に西洋化を迎えた日本は、家のなかに神聖な場である「床の間」を失い、そこにいける花も本来の「依り代」という真を失い、自由という名のもとに自我・私の強い花となったこと。

講話の中で繰り返し出てきた言葉は「真」

「真」は日本の伝統芸能の世界でよく使われる言葉で、もともとは漢字の字体を表す。

真行草といって、次第に省略や崩れた書体になる。

真という書くくらいなので、真実、本質、不変なもの、混純粋なものといった意味合いを含む。(日本国語大辞典より)

先生のなかでの「真」は、日本の歴史、風土、文化を幼い時から学ばれ、体現してきた身体のなかを貫いている柱のようなもので、それは揺ぎなく天まで届く。それは、立花のこみわらの花止めのなかに刺した真となる木。だと、私は受け取った。

お話をうかがって、私のなかの「真」とはなんだろうか?と問いがたった。

今の段階で、しっかり捉えることはできていないが、おそらくその感覚らしきものは私の中にある。

どうしても心がひきつけられるもの、美しいものであったり、好ましいと思う感覚。

胸の中に涼しい風が吹き抜けるような、心がときめくような、笑顔になるようなもの。

言葉にするなら「あ~いいな~」と思える基準となるものが、たしかに私の中に存在する。

それが私の真。美しさを感じる物差しみたいなもの。

真を体現すること、それを先生は繰り返しおっしゃっていた。

花人であり花の巨人と崇められる川瀬先生の強い気を全身に浴び、心から真を持って生きたいと思えた時間だった。