愚痴とは、言っても仕方ないことを嘆くこと。
私達は、日々、頭のなかであーでもない、こーでもないと沢山の言葉をつぶやいている。
それらを胸の内にとどめておくと、どんどん蓄積してきて外へ出したくなってくる。
言っても仕方がないことを言いたい場合、誰に言いますか?
家族?友人?同僚?
無意識に「話を聴いてくれそうな人」を選んでいるはず。
話すは「放す」に通じるので、話したほうはスッキリするが、話しを聞いた方は疲労してしまうことがある。
愚痴は聞き方を知っておかないと、愚痴を話す人に自分のエネルギーを取られて、自分が疲弊してしまうのです。
私自身が身をもって、体験してきました。
愚痴を話す側でもあったし、愚痴を聞く側でもあった。
気づいたのは、聞く側として疲労したとき。
「なんで、あの人の話を聴くと疲れるのだろう」
そう思ったのがキッカケだった。
対人援助職で、カウンセリングも学んでいるので、ついつい「人の話は共感してあげないと」と思い込んでいたのです。
相手は愚痴を言っているだけなのに、「なんとかしてあげなきゃ、慰めてあげないと」と頼まれてもいないのに一生懸命「こうしたら、ああしたらいいのかも」と聞いていたから。
愚痴は聞きたくなければ聞かなくてもいい。
そっと場を外したり、話題を変えたり、その人と距離を取ったりしてもいい。
私が人の愚痴を聞くときの工夫は「この人はそう思うんだな」と目の前の人がテレビの中に映っている人のように眺めること。
あとは、話しを聞いているフリをして、まったく違うことを考えていたりすることもある。
それでも、愚痴は吐き出すことに意義があるので、話している人はそれでも十分満足することもある。
厄介なのは、同意を求められたとき。
同意したければしてもいいし、したくなければ「そうかな」とか「○○さんは、そう思うのですね」と返答。
相手が同意を強制してきたときこそ、少し距離をとる必要があります。
ここで、「そうですかね」と適切に距離をとっておかないと、相手はこの人は自分の味方だと、その後もあなたの事情を考えずにどんどん距離を縮めてきます。
愚痴を聞かされやすい人は、基本的に親切でよい人が多い。
じつは、相手にそこまでエネルギーを使ってあげなくてもいい。
愚痴を聞くには、工夫が必要で一番大切なのは「相手のために自分のエネルギーを使いすぎないこと」
少し後ろに身を引いて、自分を守ることも大切。
もちろん、エネルギーが有り余っているときは、多少相手に差し上げてもいいかもしれないけど、その加減には注意が必要です。