私が望んでいる、人とのつながり方とは

先週末、私の恩人ミレイ先生主催の「ゲシュタルト療法×ポリベーガル理論」のワークショップに参加した。

ここ数日、私はあることに直面していた。

それは、乳がんになり抗がん剤治療を受けてから、ずっと使用していたウィッグを外すかどうかということ。

抗がん剤治療の副作用で、髪の毛がすべて抜け落ちた。

それゆえ、これまでずっと外出時はウィッグを使用してきた。

もちろん、治療が終わってから地毛が生えてきたが、治療前の髪の毛ほど太さもハリもコシもない。

そして全体的に薄い。

だけど、もうそろそろウィッグを外して、ベリーショートの姿で外出したい。

何だか、いつもウィッグを気にしながら過ごすのが嫌になってきたのだ。

そう思い始めたら、治療中に感じていた苦しさや惨めさがこみあげてきて、とても苦しかった。

こんなにみっともない、みじめな姿になって、そんな自分は認めたくない、嫌いだ。

胸のあたりに、何かが詰まっている感覚。

これはワークして、向き合う時期かもしれない。

そう思って、臨んだワークショップだった。

幸運にも、ワークをする対象者に選ばれて、皆の前でワークを受けた。

結果、私が思う惨めさは子どもの頃の母親の言動から。

私の母は、時折、他人のことをよく批評していた。

「あの人ってみすぼらしいわね、あんなカッコしているなんて」

他人がどうしていようと自由だが、ことあるごとによく母は他人を批評して、自分自身はその人達よりマシと思いたがっていたのだ。

相手の価値を下げて、自分の価値を上げる。

自信のない人がよくする無意識の行動。私も身に覚えがある。

それを見ていて、母から同意を求められ「そうだね、そうかも」と子どもの私は、母の意見に同意することで、母との一体感や繋がり感を獲得できる。

親子間だけではなくて、同じであることでしか繋がれないって、社会の人間関係でもよくあること。

同調圧力ともいうけれど、同じでないと仲間になれず居場所がなくなる感覚。

そして、乳がんになり変化した自分自身が、母の言う「みすぼらしい、みっとてもない」状態になった自分自身が許せない。

そんな苦しさだった。

じつは、この苦しさは私が本当に求めているものに繋がっていた。

ポリベーガル理論の津田先生が私のワークの解説をしてくれて、それが明確になった。

私と母の繋がりというのは「偽の繋がり」それは、同じことでの繋がり。

だけど、本当に私が求めているのは「真の繋がり」それは、お互い違っていても繋がれること。

同じでなくても、同じでも繋がれる。

親や人の言う通りでなくても、意見が違っていても繋がれる、どんな人がいてもいい自由さ。

多様性を受け入れる関係。

どんな髪型の人がいても、どんな姿形の人がいても、そのままの姿でいられる社会。

そんな世界を望んでいる自分がいることを再確認したワークだった。

堂々と、ウィッグを外してベリーベリーショートの髪型で気軽に行動できる日も近いかもしれない。