人が集まる社会や会社、学校、グループなど、人の集まりにはランクが存在する。
どんなにフラットな人の集まりでも、役割上、リーダーや指導者、まとめる人が自然発生的に生じる。
私が最近学んでいる「プロセスワーク」では「ランク理論」という用語がある。
一般的に社会的地位が高い人(弁護士、医師、教師など)は、人に影響を与え、加害者になりやすく、低い人(生徒、利用者、患者など)は影響を受け、被害者になりやすいというもの。
なかには、同じ人でもその人がどの場にいるか、集まりにいるかで、このランクは上下し変化する。例えば、私は保健師をしているが、医師と仕事をしている時は支持を受ける側なので低くなり、支援対象者、患者といる時は高くなる、といった具合だ。
被害者は傷つきやすく、「○○された」と感じやすい。一方で加害者は相手を傷つけたことに気づきにくい特徴がある。
このランク理論から起こる、人間関係の問題は頻繁におこるものだ。
被害者と加害者、じつは表裏一体のもの。
人からされたことを「傷つけられた」と感じやすい人は、自分にも厳しくなるので、少しでも相手が不快になることをしてしまったと感じる時は「加害者」として自分を責めやすい。
いずれにしても自分を責め傷つけてしまう。
私も、これまで低い人の立場をとることが多かったので、被害者意識を持ちやすい。 ただ、「○○された、される」の世界にずっといると、そこから抜け出ることが難しく、自分の人生なのに他人のせいにして、自らの歩みを止めてしまうことになる。
自分の人生を生きるというのは、被害者、加害者ではなくて「無害者」になることを意識すること。
人から何かされたり、したとしても「自分の課題はなにか」と当事者意識を持つ。この当事者意識を持つようになると、害を受けることも与えることもない、無害者、自分の中の平和を築くことができる。
この無害者が少しずつ増えていくと、この世は平和になるんだろうな。