私達は人から「もらえること」に執着しがちだ。
それは承認だったり、物だったり、お金だったりする。
これだけしたのだから、これだけ欲しい。
損得勘定だったりもする。
私も、元来「けちんぼ」なので(-_-;)損得勘定で考えがちなところがある。
自分は欲しい欲しいとほしがるのに、自分から差し出したものに対して、期待通りのものが返ってこなかったときに落胆したりすることが多かった。
人から何かをしてもらったり、物をもらったりするとき、どんな気持ちがするだろうか。
私は嬉しい反面「べつにいいのに」って、なんだか冷静で拗ねた気分でいることが多かった。
ありがとうって素直に受け取れない感覚。
それは「私はあなたの気持ちをもらえるほどの、価値はないから」という無価値感があったから。
人とのやりとりは、エネルギーの循環が原則。
入って、出すの繰り返し。
どちらから始まるのかは「鶏が先か卵が先か」と同じかもしれない。
ただ、私は自分への無価値感が強かったので、圧倒的に「受け取るチカラ」が不足していたことに最近、気がついた。
人からもらったものが自分の好みでなかったり、期待し通りのものでなくても、その人の気持ちを「受け取る」ことを意識するところからはじめてみた。
「ありがとう」ってもらうこと。「うれしい」って言うこと。
ただ、それだけ。
本当は、今ここを生きていられるのは、自然からの恩恵や人からの愛を受け取っているから。
その愛の受け取りを意識化する。当たり前と思っていることは、本当に当たり前なんだろうか。
もらえる愛が自分が思い通りではないかもしれない。でも、じつは皆がたくさんの愛をもらっている存在。
たくさんのものを受け取って、生きていこう。