家族の境界線

つい先日、対応した相談業務で家族の境界線について、改めて考えさせられた。

家族というのは、人にとっては温かい帰る場所であり、時にはとても窮屈な場所かもしれない。

多くは、血の繋がりによって構成されている人達の集まり。

見えない血に繋がれてはいるが、人としては、例え血を分けた親子であっても別の人間になる。

ただ、家族関係というのは、心の境界線(バウンダリー)が薄く、一体化して、お互いの領域を容易に踏み越えてしまうことが多い。

他人に対しては、比較的引きやすい境界線。

この境界線は、自分の心身の領域を守るもの。

多くの人達は、家族から知らぬ間に、自分の領域を侵され傷つけられていることがある。

例えば、私の経験だと、母は私が捨てたゴミをすべてチェックして、まだ使えそうなものを拾い上げていたのだ。

実家を処分するため、片付けていた時、私が捨てたはずのものが、引き出しにたくさんとっておいているのを見つけた時はゾッと血の気が引いたものだ。

私の部屋に置いてあった、友人からの手紙を勝手に読まれたこともある。

そして、私も母の持ち物を探っていたこともある。

こうした経験がある人は多いのではないだろうか。

これを他人として考えたらどうだろう。もし相手の領域に無断で入ったら罪の意識があるので、容易には入らないだろう。

でも、家族となるとなぜか、簡単に相手の領域に入っていくことができ、場合によっては家族に深い傷を負わせてしまうこともありうるのだ。

大人になり、自立してからは、自分の領域を自分で管理することができるようになった。

すると、とても居心地が良いし、勝手に侵害されることもない。

じつは、大人になって自立をしていなくても、働いていない子どもでも、自分の心身を自分で守る権利がある。子どもだから我慢しなくてはいけない、というのではなくて、子どもでも自分の領域を守るため声を上げていいのだ。

自分の身は自分で守ること、これが原則。