目標と意味がないと生きられない

目標がないと、どこを目指して生きていけばいいのかわからない。

こうした発言をされる方が少なからずいます。

学生の頃は良い成績をとって、希望する大学に合格すること。

その後は希望する仕事や会社へ就職。

そして、今度はどこへ向かえばいいか迷う。

特に、家族や先生から「○○しなさい」と言われて、それに従ってきた結果、次はどこへ向かったらいいか迷い、虚しく感じる。

自分が生きている意味がわからなくなる。

親御さんの言う通りに従ってきたという人が、誰かに目標を決めてほしいとまで言っていたのには私も驚いてしまいました。

人は、生まれてから死の方向へ向かっているのは間違いがないのですが、ただ天寿を全うする時まで茫然と生きることはできなくて、何かしらの意味や目標を求めるもの。

動物と違って、思考を持っているためかもしれません。

先に見える目標という旗印があれば、人生が進んでいる方向は間違っていないと安心できるからかもしれない。

ひと昔前までは、これが在る程度明確になっていたかもしれない。

大学を卒業して、会社勤めをして、結婚して、家族をつくって、家を建てる。

なんとなくの社会のなかでの幸せの形のようなもの。

ですが、これから先の時代になると、これがまったく通用しなくなります。

人の数ほど幸せがあり、生き方が認められる時代へと変容していくと言われています。

目標が無くなって、どこへ向かったらいいか迷っている人に、私が話すことは

フランクル心理学の言葉を借りて「生きている意味はつねに自分の足元に送り届けられているもので、それは自分で発見するもの」と伝えています。

それに、目標や意味がなくてもいい。

今を十分に味わって生きていけば、何かに気づける。

こんなことを話しながら、私自身にも言い聞かせています。