いにしえの人々の時間感覚に戻る

時が過ぎ去るスピードというのは、時代を経ることに速さを増している。

今は、そのなかでも最も最速な時代なのだろう。

ただ、スピードが速いことは好ましいだけではない。

便利な反面、つねに焦燥感や不足感を感じることになる。

最近、以前個人的にはまって調べていた美術史に再び興味が湧き、江戸時代の絵師の人生について改めて調べてみて気づいたことがあった。

生きているのが当たり前ではない時代

医療技術が今日ほど進んでおらず、自然に大きく左右されていた江戸時代。

人の一生は50年ほどで、自分の人生はこの先何十年もあると信じていた人は少なかったはず。

今よりも、人の死がより身近にあり、生まれた子供も決して無事に成長するとは限らない。

それは、どんなに裕福な武家や商家の人達もほど同じ状態だった。

今よりも、さらにさらに濃い濃度の「今ここの」瞬間を味わっていただろう。

それに得られる情報も、限られていて(今の1日の情報量は平安時代の一生分だとか)より自分の体を使って目の前のことに集中していたことだろう。

命が保証された結果、余計に不安は増大した

医療技術も社会環境も、整備されつくした現代。

生きていられるということが当たり前すぎて、何とも思わないようになってしまった。

代わりに、今よりもさらにさらに「先の未来」に心を動かされて、不安や不足を煽ってくる情報に日々晒されている。

人間は常に今ここしか生きていられないのに、心や頭の中は過去や未来を彷徨って、いつのまにか疲れ切ってしまう。

江戸時代の人達は、つねに濃度の濃い「今ここ」を生きていて、もしかしたら現代の私達よりも、より幸せや喜びを感じていたのではないかと、絵師の人生や描いた絵を見ながらふっと気づいたことだった。

これから先の人生の予測がつくこと、例えば天気予報で明日がどんな天気になるのか、台風はどのくらいの大きさなのか事前に知ることができるのは安心や備えにも繋がるが、一方で不安を増大させ、それに自然は人間の予想を遥かに超えてく存在でもある。

いにしえの人々の時間感覚に戻る

いにしえに思いを馳せるのが、私の個人的な嗜好で、それが私にとってしっくりくる体感覚でもある。

江戸時代に描かれた絵をゆっくり観賞すると、なぜか当時の時間感覚を味わえる気がして、何より心が静かになる。

完全に過去に戻ることが不可能ではあるが、時に焦ったり辛くなるときは、いにしえの時代に思いを馳せて、今ここの瞬間を味わいたい。