神聖な空気(京都の鞍馬山に登って)

6月末に京都へ一人旅に行った折、鞍馬寺にお参りに行った。

鞍馬寺は鞍馬山の山頂にあるお寺。

予定ではケーブルカーで登る予定だったが折しも運休中(T . T)これは歩けというお達しと受け止め、蒸し暑い山の中を歩きで登った。

この山自体が1000年前から神仏として大切にされてきた歴史があり、一石一草にいたるまで神仏とし、安易に摘み取ることは禁止されてきた。

一石一草に至るまで神仏とし、人々に大切に守られてきた場所というのは、言葉で表現することは難しい神聖な空気感が充満している。

ただ放っておかれた自然でもなく、人の手で作られた場でもない。

自然と人が共同で作り上げた空気感。

科学的に言えば、植物から出ている成分が空気中に放出され濃度が濃いだけかもしれないが、そこに人との歴史が加わるとさらに深みが増す。

木の根道(牛若丸が修行したと言われる場所)

鞍馬山といえば、鞍馬天狗と牛若丸の伝説で有名。

不遇な幼少期を送った牛若丸こと源義経。

その義経が天狗と出会い、剣術の稽古をした場所が鞍馬山。

真相はどうかは別として、この夢のある話と山の自然の年月が相まって、より一層神聖さが深まる。

息次の水(800年沸き続けている水、牛若丸もこの水で喉を潤したとか)
下山中に出会った木。どれだけの年月をかけて絡まっているか。

深い深い山の中を心の中では「なんでこんなしんどい思いをして登ってるんだ(T . T)」と文句を言いながら息も絶え絶えに歩いていたが、やはり苦しい思いをしないと見れない景色や吸えない空気があること。

改めて思い知った鞍馬山登山だった。