私達は学生時代に、徹底的に「頭で考える」ということを訓練される。
一番、知能が発達する時期に、たくさんの情報を頭の中に入れ込んでいき、神経回路を作る。
それはそれで、大切なことでもある。
学校での勉強や、試験というのは、明らかな「答え」があって、その答え通りであれば「正解」そうでなければ「不正解」と、数値化されたり、合否で表すことができる。
そうやって訓練された頭脳で社会に出ると、混乱が起こる。
なぜなら、現実の社会は学校での勉強のように、容易に正解の答えが出ないからだ。
社会、人、組織、いろんな存在が混じりあい、何かしらの「問題」として浮かびあがってくる。そうなると、すべてを納得させるような解決方法を出すのは至難の業。
こっちを立てれば、向こうは立たずということは頻繁に起こる。
それでも、学生時代に訓練された「問題解決思考」で考えるため、明確な答えが出ずに苦しむ、という図式になる。
カウンセリングを受ける人の中には、「カウンセリングは問題の解決方法を教えてくれるところ」と思っている人が少なくない。よく「どうしたらいいのでしょうか?」という質問をよく聞く。
でも、カウンセリングは「問題解決の場ではない」ということ。問題解決は、どちらかというと専門家の「コンサルタント」になるだろう。
じゃあ、カウンセリングは何をするのか?というと「自分の中にある、自身も気づいていないことを気づき、自ら答えを出し選択できるようにするための支援をするところ」と私は解釈している。
そう、じつは答えはすでに「自分の中」にあるという前提で、展開していく。
カウンセラー自身もクライアントの中に答えがあると捉えていく必要があり、クライアントには自分で乗り越えるチカラがあるとカウンセラーが信頼することも重要になる。
もちろん、アドバイスをすることはある。だが、提案であって、それを実行するかどうかは本人に決めてもらう。
問題を解決しようとすればするほど、苦しくなる。でも、残念なことに、実は大概の問題は解決しないしゼロにはならない。じゃあ、どうすればいいかだが、私が最近感じているのは「時を待つ」ことや「流れに任せる」「チカラを緩める」ということ。
じつは、どうにかしようと力んでいる最中ほど視野が狭くなり苦しくなる。だが、どうにかなるでしょう~っと力を抜き、自分でできる範囲で何か行動をしていくと、何かしらの状況が変化したり、第3の道が見つかったりして、問題と思っていたものが変化することがあるのだ。
カウンセリングでは、クライアントは大抵力んで臨む。そこから話しやワークをしていくうちに力がほどけてきて、新しい視点が見つかるようになる。
とにかく、焦ること、すぐにどうにかしようとすると大概苦しい。そんなときこそ、チカラを緩めて、「問題と思っていることは、そのうちなんとかなるだろう~」くらい思って、自分ができることをしていく.
じつはこれが一番の解決方法だと私は踏んでいる。