身近なところ自分が追い求めていた宝物は存在する。
これを実感したのは、横川志歩先生の「なげいれ花の教室」に通うようになってから。
20代から生け花やフラワーアレンジメントを習ってきた私。
その過程で、茶道を学ぶようになり茶室に飾られる「茶花」という花の飾り方を知ることになった。
茶花は、一般的な花屋で売られているような傷ひとつない、まっすぐに伸びた茎を持つ花ではなく、自然の野山、野原に咲いている一部朽ちていたり、曲がっていたり、色あせている草花をそっと花入れ(花瓶のこと)にいれる侘びた風情を表現する花の入れ方。
茶花を習いたいと探していたところ、ある女優さんがインスタに投稿されていた教室をみつけ調べて辿り着いたのが、横川先生の教室だった。(女優さんが投稿したのがキッカケというミーハーな私)
なげいれ花を学ぶようになり7年になるが、私のなかでの花を入れるとか飾るという概念の世界が急激に広がり、奥行が増した感覚がある。
入れる花というのは、今まで花屋にしかないと思い込んでいたが、実際は家の近く、近所にある道端にひっそり咲いている草花が使えること、またその草花の風情にふさわしい器(大抵は骨董のもの)を選ぶことでさらに花の存在感が際立ってくる面白さ。
身近なところに宝物がある
同じ教室の生徒さんのなかに、いつも可愛い山葡萄が成っている枝を持参する方がいる。
それを見ながら「いいな~山が家の近くにあったら私も採りに行きたいな」と思い、私には用意できない花だと諦めていたところ、、なんと先日、近所で「山葡萄」が成っているのを見つけることができたのだ!
その場所はいつもの散歩コース、何年も何度も歩いてきた道。
それなのに、、その葡萄の存在に気づくことができなかったのだ。
これには自分の目がいかに物を見ていないか、一部しか気づけていないかを知ることになり、身近に宝物は存在するということを改めて思い知らされる出来事だった。
これもすべて私が「なげいれ花」というものに出会ったから気づけたこと。
花をいけるということを学ぶことから、広がる世界は想像以上に広いものなのだ。