人が嫌い、苦手、信用できなくても心のどこかでかならず自分の心を受け止めてくれる相手を求めているのが人というもの。
人はただ呼吸して食べているだけでは、生きている実感を味わえないようにできていて、自分がしたことで周りの人が喜んだり心を動かされていることを確認することで生きている実感が得られる。
テニスで例えると、ボールを壁打ちしているだけではテニスをしていることにならなくて、自分の打ったボールを打ち返してくれる相手がいてこそテニスをすることが味わえる。
人は1人では生きられないし、生きている感触も得られない。
このブログも誰か、どこかで読んでくれる人がいるかもしれないからこそ書ける。
読んでくれた人、ありがとう。