人は人に育てられることで人になる。
言葉を話せない赤ちゃんでも、お母さんや家族と表情や身体の動きを通じて情緒的なやりとりを通じて発達し、言語を身につけて社会性が育っていく。
オオカミに育てられた少女の話
1920年のインドで、オオカミに育てられた少女、アマラとカマラが発見された。
2人の少女は孤児だった。
四つん這いで歩き、言葉が話せず、オオカミのように唸り声をだす。
発見した宣教師の夫婦がこの少女達を保護し、言葉や人間の生活を教えたが、数言しか話せず、早くに亡くなってしまったという。
犬や猫などは人間に育てられても、一生犬や猫であるが、人は人に育てられないと人にはなれないことを教えてくれる話だ。
養育者との心のやりとりで人になる
生まれた時から、養育者から虐待を受け、存在そのものを否定されて育った人は少なくない。
人には育てられたけれど、心のこもった言葉や身体のやりとり。
抱っこされて、暖かな言葉をかけられる。
このやりとりは、人と自分の間で見えない繋がり、愛のネットワークを紡ぐ行為。
自分は世の中から歓迎されて愛されていると認識でき、社会の中で生きていくために必要な全身の神経、細胞のネットワークが出来上がる。
では、幼い頃に情緒的なやりとりをしてもらうことが出来なかったら、それで一生固定されていまうのか、、
これは間違いで、神経細胞のネットワークは固定されることはなく、改めて人とのやりとりをすることで変化し繋ぎ改めることが可能だ。
そうは言っても親は変わらないし、、と絶望する人もいるだろう。
じつは、大人になってからでもカウンセラーやセラピスト、仲間達と言った人達とのやりとりで、それが可能になる。
温かな人間関係を作りたいと思っても、どうしても人が怖い、信頼できない。でも何とかしたい。
こう思う人達が、カウンセラーやセラピスト、仲間と出会い、新しい繋がりをつくりながら癒される体験をしてほしい、わたしの最近の切なる思いだ。