どんな選択でも自分で決めたことには意味がある

今の時代は超超~情報社会。

ひと昔前までは、情報はテレビや新聞など限られたメディアか、もしくは人から伝わっていた。

それが、今ではネットやSNSを開けば星の数ほどの情報が散らばっている。

これだけたくさんの情報が手に入る便利さがある一方で、迷うことも多い。

レストランのランチメニューも5種類くらいからなら選べるけれど、そのメニューが数百種類あって選べないようなもの。

先日、新しい制度についてネットで調べていた。

多くの人達が情報発信していて、その制度の基本的な仕組みの理解にはとても助かった。

だが、その制度を選択するかどうかの解釈は人によって違っていた。

情報を見て最終的にどうするか決めるのは自分。

超情報社会で多様性の時代は、決めるチカラが必要になる。

誰かの言うことを聞いていれば大丈夫ということはなくて、自分の言うことを聞いていくチカラが試されている。

決められない人の心理としては、失敗したくない、損したくないという思いがあることが多い。

それゆえ、不本意であっても現状に留まったり、やろうと思っても一歩が踏み出せない。

じつは、失敗とか損も悪いことばかりではなくて、経験のひとつになり人生や仕事の肥しになる。

私も、病院看護師として働いていたときに休職して、のちに退職したのだが、数年間は失敗だった恥をかいたと後悔の念が強かった。

それも10年以上経った今、当時の経験が仕事に役に立っている。

時間はかかったけれども、あの時挑戦しておいて良かったと思える。

体験しないと学べないことがあるから。

留まるのか、進むのか、選ぶのか、選ばないのか、先延ばしするか。

どんな選択であっても自分が決めたことは、その人の人生で必要なことが詰まっている