過去の自分が味わった感覚を喪失し、しばらく絶望感を味わっていた。
私にとって、1000年の都である京都は魂の故郷のようなもので、何より大事な土地。
中学の修学旅行から、20代からは一人で時には友人や恋人と訪れてきた場所。
古い町並み、寺社仏閣が並ぶ景色、遠くに目を向けると京都を囲む山の稜線がみえる。
京都の街並みを歩くだけで私は活力をもらってきた。
最近、調子を崩していたので、いつものように京都を訪れて気力を戻そうと期待したのだが、、私の目には京都の街の気は変わっていた。
外国人観光客があふれ、インバウンド向けの店が立ち並ぶ。
夕食を食べるために立ち寄った飲食店では、私以外は外国人客、店員は若い日本人。
なんと私は英語で話しかけられてしまったのだ。
「私はあなたと同じ日本人なのに、それに気が付かないの?」
寂しさと悲しさが押し寄せた。何か大切なものを失ってしまった気がした。
これまで何度も訪れてきたので、知っていることも多いし新鮮味が欠けているのもあるが、何より京都の街そのものが変化し、そして私自身も年を重ねたのだ。
もしかしたら、私は昔の若いときの自分を取り戻したかったのかもしれない。
表現しきれない喪失感と絶望感で、帰りの新幹線ではとても苦して少しでも早く自宅へ帰ることを望むばかりだった。
京都を去るときは、いつもまた来たいと後ろ髪引かれる思いだったのに、、。
帰宅してからも、夜はうなされて居場所がない苦しさを味わってしまったのだ。
年を重ねることは、過去の自分を失うことに直面もすること、すべて移り変わること。
頭では百も承知であるのだが、昔の身体感覚がそれを理解しない。
このズレが私を苦しめた。
もちろん、京都に来て胸が熱くなった体験もあった。
ただ、ここまで不快感を味わったこともはじめてだった。
今回の京都旅のテーマは「はじめての京都体験」と自分でテーマをつけていたが、本当にそれ通りの展開になった。